体験談|適応障害になった理由と復職のために行ったこと

仕事

社会人1年目のときに”適応障害”を患っていた私の体験談から、適応障害を発症してしまった経緯や、気分が落ち込みにくくなるためのアイデアをご紹介します。

この記事を読めば、”適応障害の人の心理””適応障害の乗り越え方”が分かるはずです。

  • 鬱や適応障害などの問題を抱えている人
  • 社会に対しての不安を感じている人
  • 働くことに対してナーバスになっている人
  • 人間関係に問題を抱えている人

こんな方の助けに少しでもなれればと思っています。


わたしも、少し前までは「自分にはなんの取り柄もない」と自分のことが嫌いでしかたなかった時期もありましたが、現在は考え方や気分を上げる方法を知ることで、自分に自信をもって、仕事もプライベートも満足度高く生活を送ることができています。

是非、参考にしてみてください。




適応障害になってしまった経緯

四年制大学を卒業した私は、新卒で現在の会社へ入社しました。

新型コロナウイルスが全盛期だったこともあり、入社早々1ヶ月間は在宅でZOOMを通して研修の毎日。ゴールデンウィーク明けから、やっと出社ができるようになり、6月まではOJTで様々な部署での仕事を経験、7月から仮配属、8月から本配属という流れで、会社のカリキュラムをこなしていきました。

配属されてからは慣れないことも多く、忙しい毎日を送っていましたが、なんとか食らいつき、無事年末の働き納めまで働き続けることができました。

しかし、年始早々、あの流行り病にかかってしまいます。新型コロナウイルスです。

発熱は発症してから3〜4日程度でだいぶよくなってきたのですが、頭痛・倦怠感・だるさがなかなか治らず、自宅待機期間をすぎても本調子までには至りませんでした。

その後も数日、会社から休みをもらって自宅療養していましたが、少しづつ良くなってきていたため、そろそろ会社に行かねばと思っていました。

そして、次の日から会社に行こうと思った翌朝、「あれ、布団から出れない、、」頭では会社に行かねばと思ってはいるものの、体がいうことを聞かず、会社に行くことはできませんでした。

※当時は気づきませんでしたが、今振り返るとコロナ発症をきっかけに、社会への「不安」や「自尊心の欠落」が、いつの間にか社会への適応障害に移り変わってしまっていたのだと思います。

その日から、明日こそは会社にいかなくては、と思いつつも、次の日の朝になると体が動かない、そんな毎日が続きました。憂鬱な原因はコロナではなく、会社に行きたくない自分自身へとエスカレートしてしまったのです。


適応障害になってしまった大きな理由

人間関係

わたしの本配属後の直属の上司は、4つ年上の女性の先輩でした。気配りができて仕事も早い方だったため、尊敬できる部分もあったのですが、自分にも他人にも厳しい人で、部下には自分のやり方を押し付けてくる。また、言っていることは正しいけれど、社会人1年目に対しての「共感」がまったくなく、精神的に逃げ場のない言い方をしてくるところが、私には合いませんでした。

(濃い紫や深い緑などをファッションに取り入れる人だったので、当時はその毒々しさが冷徹な魔女のように見えて仕方なかったです笑)

ただ、まだ社会に出て1年目のわたしには、何が正解か分からない状態だったため、そのまま先輩のいうことを鵜呑みにし続けました。

心の中では常にその人に怯えながら仕事をしていたので、細かい失敗たくさんしてしまったり、時間通りにタスクをこなせなかったりすることが多く、さらにあきれられ、先輩の言い方がさらにきつくなるのでさらに怯えてしまう、という負のスパイラルに陥っていました。

完璧主義

仕事が思い描くようには上手くいかず、「自分のしたいこと」と「自分ができること」のギャップで自尊心が低くなってしまったように感じています。「なぜこんなこともできないのか」と自分で自分を嫌いになってしまい、自分を認めてあげられなくなっていました。

長時間労働

代理店という立ち位置で営業の仕事を行っていたこともあり、21時までの仕事は当たり前、終電帰りの日も少なくなかったため、平日は帰って寝るだけの生活でした。

働く時間が長すぎると、よりよい仕事の進め方や仕事との向き合い方などを考える余裕がなく、思考停止のまま手を動かしていた感覚です。

もっとメリハリをつけられればよかったのですが、当時はそこまで器用に物事を進めることはできませんでした。



適応障害のときの心理状況

仕事のことがずっと頭から離れない

平日に仕事から帰ってからも、休日の日も、常に頭のなかでは仕事のことを考えていました。

毎日寝る前には「明日やらなくてはいけないこと」を脳内でリストアップしていて、ずっと頭の中が「仕事」で飽和状態になっていました。

慢性的な頭痛

常に頭の外側から脳をしめつけるような頭痛に悩まされていました。

痛み止めの薬は重さに応じて飲んでいましたが劇的な効果はなく、市販の薬もあまり意味を成しませんでした。

(今思えば、ストレスからきている症状だったので、当然といえば当然ですよね、、)



適応障害の乗り越えた方法

本を読む

当時、中田敦彦さんのYouTube大学を見ることが好きだったのですが、その中で本を定期的に紹介しており、気になる本は自分で購入して読むようにしていました。

特に休職中に私の助けになった本がこちらです。

▼『嫌われる勇気 自己啓発の源流 「アドラー」の教え』 : 岸見一郎

「自分の課題」と「他者の課題」を分けて考えることで、悩む必要のないことに振り回されなくなりました。




▼『夢をかなえるゾウ1』 : 水野敬也

人生を変えるための「課題」を分かりやすく授けてくれる、お気に入りの1冊です。




どちらの本も、物語形式で話しが進んでいくため、読書初心者の人でも読みやすいと思います。

運動をする

私の場合は、自宅で筋トレをしたり、「ダビワダンス」さんというアニソンに合わせて夫婦でダンスをしているYouTuberの方の動画を見ながらダンスをしていました。

気分が乗らないときには無理やる必要はないですが、運動することで体も心もスッキリして、物事を前向きに考えられるようになります。

運動をまったくしない人は、散歩やジョギングなどもオススメです。

人と話す

当時は、母親と大学時代の友人、当時の彼女に話を聞いてもらっていました。

自分の悩みなどはもちろん、他のくだらない話しなど、人と話すと案外心が楽になるものです。

逆に、心が苦しい時、一人でなんでも抱えてしまうと、考えが偏ってしまい、世界が歪んで見えてしまうときもあるので、定期的に人とコミュニケーションが取れるとよいと思います。

もし身近な人がいなければ、精神科医の先生に話してみることをオススメします。先生によるかもしれませんが、優しく話に耳を傾けてくださるはずです。


適応障害にならないために

「あ、やばいかも」と感じる前にSOSを出す

「会社を休んだら、いろんな人の迷惑をかけてしまう、、」そう感じる人も多いかもしれません。

実際、多かれ少なかれ迷惑をかけてしまう場面もあるかもしれませんが、自分がいない穴は誰かが埋めてくれる、もしくは最悪誰もやらなくても、会社に大きな打撃はないことも少なくありません。

むしろ、顔色が悪いまま仕事をしてしまうと、周りの先輩に逆に気を遣わせてしまうこともあるので、まともに働けないような状態のときは、潔く休んでしまいましょう。


自分なりのリフレッシュ方法を知る

好きな映画を見る、スポーツをする、カラオケで思いっきり歌う、お気に入りの香りを嗅ぐ、なんでもよいですが、自分の「好き」を知って、気分を上げる方法を知りましょう。

特に社会人は、自分で自分の機嫌を取り方が分からないと、ちょっとした出来事で気持ちの上がり下がりの起伏が激しくなってしまうこともあります。

気持ちをニュートラルに戻す方法を知っていると、普段から気持ち穏やかに生活を送ることができるので、自分なりのリフレッシュ方法を見つけてみてください。



まとめ

以上、わたしの経験から、適応障害になるまでの経緯と乗り越えた方法をご紹介させていただきました。

社会人になってからわたしが思うのは、何よりも心と体の「健康第一」ということです。体が資本、とはよく言ったもので、健康は幸せの土台になる部分だと思っています。どんなに好きな仕事に就けても、どんなにお金を持っていても、体や気持ちに不具合があれば100%人生を謳歌することは難しいはずです。

自分の心の状態を一番にわかっているのは自分です。わたしの周りの人も、体や気持ちを犠牲にして仕事に打ち込んでいるひとも少なくありません。現代の人は、心の健康もないがしろにしている人が多すぎると思います。会社よりも、他人よりも、まずは自分の人生を有意義に過ごすことを最優先に、行動を起こしてみてください。

こちらの記事が少しでも、適応障害や鬱の方のよりよい人生のヒントになればと思っています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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